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【뮤지컬 리뷰】천재 음악가라는 최강의 캐릭터를 입은 규현·곽이안의 ‘모차르트!’ 는 어땠나

 

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[Musical Review]‘天才音楽家’という最強のキャラクターをまとったキュヒョン、クァク・イアンの‘モーツァルト!’はどうだったか

 

天才的音楽家の人間的苦悩を古典的でありながら大衆的ミュージカルナンバーで解釈した欧州ミュージカル‘M!’がイジフン-チョンドンドク-キュヒョン(SJ)を2016‘ヴォルフガング・モーツァルト’として迎えた。

今回の‘M!’は小池修一郎の新しい演出コンセプトとアイドルスターを超え‘ウェルテル’‘三銃士’‘Singin' in the Rain’等に出演しミュージカル俳優として成長著しいキュヒョンの新しい挑戦、また、もう一人の主人公、‘アマデ’に扮した子役俳優に注目してみた。

幕が上がれば、モーツァルトの骸骨を探し彼の天才性を研修しようとするメスター博士とモーツァルトの夫人だったコンスタンツェが暗闇の中登場する。直後 ‘神の降りた天才少年’‘奇跡の子’と広く知られた幼いヴォルフガング・モーツァルトと姉のナンネールが父の主導の下、ヨーロッパ全域をツアーしながら上 流階級の貴族の前で成功的に演奏会を行う姿が描かれる。

モーツァルトは自身の生と、音楽の自由を渇望するが、ありのままの自分が愛されず階級社会に順応し天才性だけを要求する父を恨む。また、自身の雇用主であるコロレド大司教と衝突を繰り返す。

今回の2016‘M!’は2010年初演当時、純粋で自由を渇望したミュージシャンの姿で帰ってきた。ドレッドヘアーと赤いジャケット、デニムファッショ ンで同時代の自由を象徴する服装のモーツァルトは18世紀のモーツァルトの生の法則を思い起こさせる。チョンスンホ舞台デザイナーは‘光’を活用した新し い次元の舞台デザインを披露し、人物達の情緒を伝えようとした。

日本・宝塚歌劇団の演出家である小池修一郎の演出は2016ミュージカル‘M!’を‘人間と彼の才能の間との葛藤ストーリー’として見せ‘果たして人間は自身から自由になることはできるのだろうか’という疑問を投げかけている。

モーツァルトを破滅へと追いやる天才性は神の贈る祝福でありながら呪いのように襲いかかる。‘天才という運命’と‘自由に対する渇望’の対立はモーツァル トと、常に彼のまわりに影のように存在する‘アマデ’により二極化される。モーツァルトの天才性を象徴する‘アマデ’に注目しよう。モーツァルトの天才性 である‘アマデ’が本格的に悪魔に変わり、彼の腕を刺し流れる血をインクとして作曲しはじめ彼を侵食しようとするからだ。

‘アマデ’は続けて渇いたインクの代わりに彼の血をインクとして作曲を強行する。作曲依頼されたレクイエムを作曲の途中で彼の命は静かに死へ向かって行く。最期の瞬間、彼は‘アマデ’によより自身の心臓を突かれる。

劇の結末にヴォルフガングの幼少期から音楽家として生きていく間葛藤と和合を繰り返していたように見えた‘アマデ’と共に死に至るシーンは‘M!’の悲劇性が最高潮に達するシーン。

幼いモーツァルトであり‘天才性’を象徴するモーツァルトのもう一つの自我‘アマデ’にはクァク・イアン、ペク・シオン、イ・ユヌがトリプルキャスティン グされた。説得力のある‘アマデ’に扮した子役俳優クァク・イアンの演技は前シーズンより一段階、成長した。ただ、‘天才性’そのもと言っても遜色はない クァク・イアンがいち早く子役俳優の道に進み、天才性という運命と自由に対する熱望の中で自由ではないことという考えに及ぶ点が気にかかるだけだ。

新しい演出コンセプトと共に今公演のもう一つの関心事はキュヒョンが多くの男性俳優が挑戦を望むミュージカル‘M!’にタイトルロールとして名前を挙げたという点。

ミュージカル俳優としてこつこつと成長してきたキュヒョンの‘モーツァルトは’どうだったか。まず、彼が歌うミュージカルナンバーは魅力的な音色に多様な色と味を持たせミュージカルファンの気持ちを生かした。
しかし、ミュージカルは俳優が消化したドラマと歌が有機的に調和してこそ光を放つ。
彼は誰よりも純粋で自由を渇望したミュージシャン‘モーツァルト’の姿は見せたが、悪夢の中で自身の天才性に抗い内的葛藤を立体的に具現するには惜しさが残った。各人物との関係及び感情に従った呼吸が客席に深く伝えることができず共感に限界があった。